東ローマ諸公国のうち  (歴史・建築・外国映画)

最も活動的であったニカイア帝国は、多くの建築を建立したが、そのほとんどは現在には残っておらず、確実なことは言えない。
ニカイア帝国と勢力を競ったエピロス専制侯国は、王室の活発な建築活動が認められ、洗練された建築物とは言えないものの、礼拝堂建築が数多く残る。
アルタにはエピロス建築の傑作とされるパリゴリティサ聖堂があり、その近郊にはカト・パナギア聖堂(1231年)やブラケルネ修道院、トリカラにはポルタ・パナギア聖堂(1283年)がある。
エピロス王室はシチリア島のホーエンシュタウフェン家やヴィルアルドゥアン家との婚姻関係があり、これらの建築には西欧風の特色が認められる。
このため、エピロスの建築は革新的なものが多いが、ニカイア帝国との争いに破れ、消滅してしまったために、その建築が最末期のビザンティン建築に継承されることはなかった。トレビゾンド帝国には、首都トレビゾンドに皇帝マヌエル1世によって建設されたハギア・ソフィア修道院のカトリコンが現存している。
グルジア王国の影響をうけた平面構成が認められるが、グルジア王国とルーム・セルジューク朝に挟まれたこの帝国のその他の建築活動については、あまり研究されていない。1261年のニカイア帝国によるコンスタンティノポリス奪回後、コンスタンティノポリスではビザンティン文化の最後の華が開花した。いわゆる「パレオロゴス朝ルネサンス」である。
しかし、この時期に建設された教会堂は、中期ビザンティン建築の伝統を墨守したものであって、他の文化活動にみられるような初期ビザンティンの、ましてや古代ローマの伝統を復興させるようなものではなかった。
コンスタンティノポリスでの建築活動は1261年から1330年頃までのわずかな期に認められるのみで、以後は完全に停滞した。
update:2009年10月17日